子供がいたので、定番の水族館に。
下関では有名な海響館だそうな。そして、その後、すぐ隣にある唐戸市場という海産物の卸市場へ。
魚やサザエ、タコ、フグ、なまこなど近海で取れた魚介類がところ狭しと並んでいた。取れたての海産物で握ったお寿司も売っており、買って直ぐ外で食べられる。
関門海峡を通る船を見ながら、はたまた目の前の九州を見ながら食べられるのである。
天気がよいと気持ちがいい(^-^)v
その唐戸市場に行く途中であるものを発見!!
そう、かの有名なフランシスコ・ザビエルさんだ。
こんな感じだったか!?違和感を感じながら見ていた。
そう、剥げてない!?
あんまりよく知らないなあと改めて思う。
これは調べてみなければ!!
出生は!?
1506年の4月に、ナバラ王国のハビエル城で生まれたようです。ナバラ王国は、北スペインとフランスの境に位置するらしい。独立した国であったがスペインとフランスの紛争の地になり、その後にはスペインに吸収されたようです。その紛争の時にお父さんは亡くなったようで、国がなくなり、いろいろと苦労することになったようです。
良いところの生まれだったんですね。しかし、苦労もかなりしたようで。
なんでキリスト教なの!?
ザビエルさんは、19歳の時にパリ大学で哲学を学んでいたようですよ。その時にであった仲間たちの影響を受けて、キリスト教を広めようと誓ったのが始まりみたいです。
いわゆるイエズス会の始まりですね。
このイエズス会は、上述のパリ大学の仲間たち、つまりザビエルを含む6人で立ち上げられたキリスト教カトリック教会の男子修道会とのこと。
主な活動は、宣教活動、社会正義活動(いまいちよくわかりませんが(^_^;))、教育活動だそうな。
宣教活動でザビエルさんは、世界各地に赴き、ついには日本にやって来たと言うわけですな。
唐戸市場のザビエルさんの像は、下関上陸記念碑だったみたいですね。
剥げてないの!?
教科書などでは、カッパのように剥げてたが!?
記念碑は剥げていない…。どっち!?
あのカッパのようなカットは、トンスラと言って僧になると頭の登頂部の髪の毛を剃るスタイルのようです。
坊さんになると頭を丸める的な感じですな。
唐戸市場の記念碑は、てっぺんの髪の毛が生えてきてた時のことなんですかね(^_^;)
いつ死んだのか!?
46歳で亡くなったようですよ。
ザビエルさんは、日本で宣教活動していましたが、日本は中国の影響を強く受けていると感じたんですね。だから、日本よりもまずは中国ではと考え、日本を離れ中国に向かうんですね。
しかし、当時の中国は外国の門戸がすべて閉ざされており、中国へは上陸できなかったんですな。仕方なく、上川島(サンシャイン島)で中国上陸の機会をうかがうことに。
その時に病気に罹ってしまう。
それが原因で46歳で亡くなりました。
死後、遺体は川上島に埋葬されまさしたが、なぜか腐敗することなく残っており、お弟子さんの手により最終的にはゴアへ運ばれて埋葬されたそうな。
ちなみに、ゴアはインド南部にあるゴア州のこと。ここには、ポルトガルの王様の命を受けて派遣され、後にアジア宣教の拠点となった地でもある。ザビエルさん没後にボン・ジェズ聖堂が建てられ、上川島で亡くなったザビエルさんの遺体が安置されているとのこと。
道半ばで病に倒れたのね(*_*)
でも、改めて調べてみて、キリスト教の普及のために活躍したとても偉い人だとわかりました。
ただのハゲで、キリスト教を日本に持ってきたただの外国人って訳ではないのね(^_^;)
興味がある人は、いろいろと調べると面白いかも。
間違っている点やニュアンスが違う面があるかと思いますが、それはお許しをm(__)m
たまには歴史の人物に触れるのもよいかも。
でわ(^^)/
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